自治体労働者・増田 満氏を追悼する

自治体労働者・増田 満氏を追悼する

 

増田満氏の友人 根本善之(世田谷地区労事務局長・全労交呼びかけ人)

 

 11月9日、午後9時15分、長年にわたり自治体労研の組織化、そして全国労働組合運動交流会(全労交)運動を最先頭で担ってきた増田満氏が、すい臓癌により、北里大学東病院で逝去された。

 この6月にすい臓癌の発症が発見され、7月開腹腫瘍摘出手術を受けるも、腫瘍を摘出できず、その後放射線治療、抗がん剤治療を続けてきたが、その甲斐もなく11月9日に逝去されたのである。1947年静岡市生まれ。享年68歳であった。

 氏は、1971年福井大学理工学部建築学科を卒業、東京都に採用される。職場は、財務局建築保全部の技術職。定年退職・再雇用終了までの43年間を建築保全部で都立高校や都税事務所、清掃工場などの建設・建物保全などを業務としてきた。その後、都の教育庁に再々雇用され、6月まで、現役で働いてきた。

 氏は、1970年代初頭から闘いぬかれた都区職員の任用制度の改善闘争―現業差別撤廃の闘いに、試用期間中にもかかわらず、参加したのをはじめ、安保闘争をはじめとする数々の政治闘争を闘い、全金本山労組支援、狭山差別裁判糾弾の闘いなどに職場の仲間を組織化し、多くの自治体労働者と出会った。私もその1人である。

 職場からの闘いを先頭になって闘う氏は、都職労本庁支部執行委員に選出され、歴任された。こうした活動を引っさげて、自治体労研運動に参加した。

 総評解散に伴ない、都職労各支部は連合(自治労)か、全労連(自治労連)かの選択の組合員一票投票を行なった。氏は、本庁支部は三役・執行委員とも、共産党支持が大多数を占めているにもかかわらず、都職労の中で唯一どちらにも参加しないと決めたことや、女性の唯一の現業職場の都庁代表電話の交換業務の民間委託攻撃では、当局の60人組合員への転職強要に、組合方針とはならなかったものの、多数の組合員が転職試験拒否闘争を闘うなど、氏がいなければ闘えなかった闘いでもあった。

 また、氏は、「職場からの決起、職場行動委員会運動だけではだめだ!地域に広がる職場行動委員会運動を!」とよく話していた。

 そうした思いを持って、氏は、全労交の結成にも東京の代表として参画、その運動と組織化に全力を上げて闘ってきたと思う。

 見舞いに行った折、氏は放射線治療で身体がズタズタになっているにもかかわらず、「Aをやりたい!」「Bを書き綴らなければ・・・」と、まさに死の直前まで労働者解放にかける情熱を燃やされていた。

 私たちは、哀悼の意をここに表わすとともに、氏の遺志を引き受け、労働者解放に向けた職場、産別、地域を貫く地区共同を目指して闘いぬくことを明らかにし、追悼とします。