12・28「越年・越冬突入集会」、12・29~1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく 大阪・釜ヶ崎

釜ヶ崎のセンターで野宿する労働者のもとを回る人パト隊
釜ヶ崎のセンターで野宿する労働者のもとを回る人パト隊

12・28「越年・越冬突入集会」、12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく

 

  反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会

 

12・28「越年・越冬突入集会」を開催

 

 釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が、12月28日に、西成市民館で「越年・越冬突入集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。

 「2016―2017年越年・越冬突入集会」は、「釜ヶ崎越年・越冬闘争を闘うぞ!」「一人の野垂れ死にも許さんぞ!」「生きて奴ら(資本・行政)にやり返すぞ!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さんぞ!」「センター縮小・移転攻撃=寄せ場・釜ヶ崎解体攻撃を粉砕するぞ!」「2017年寄せ場春闘を闘うぞ!」というシュプレヒコールから開始された。

 続いて、「釜ヶ崎労働者の会」から集会の基調が提起される。基調では、この間「大阪維新の会」―橋下徹が主導する「西成特区構想」にもとづく「あいりん労働センター」の建て替え計画が進行しており、これが寄せ場・釜ヶ崎そのものの解体攻撃であり、「センター縮小・移転」攻撃にほかならないこと、この攻撃を仲間の団結の力で粉砕していかなければならないことが明らかにされた。また、ますます強まるアブレ―野垂れ死に攻撃に対しては、大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたこと、釜ヶ崎の諸勢力が春闘を放棄する中、唯一「釜ヶ崎労働者の会」が業者に対して「春闘要求書」提出行動を闘ってきたことも明らかにされた。「日の丸」「君が代」の強制―処分攻撃と闘う教育労働者と連帯する闘いに決起してきたこと、部落解放闘争や「障害者」解放闘争を闘い、差別と対決する闘いに決起してきたことが提起され、安保粉砕闘争をはじめ反戦闘争や反原発闘争に取り組んできたことも紹介された。釜ヶ崎での越年・越冬闘争の取り組みとして、12月29日から1月3日までカイロ、おにぎり、タオル、防寒着、風邪薬などを持って「夜回り・人民パトロール」を闘うことが提起され、基調提起の最後に、越年・越冬闘争のスローガンを、参加者全体の「ヨシ!」の声で確認した。

 次に、東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からの連帯メッセージが読み上げられる。参加者から大きな拍手が送られた。

 基調提起と全国各寄せ場からのメッセージ紹介に続いて、映画「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」が上映された。この映画は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いたものだ。映画は、「佐藤満夫監督と当時の山谷争議団の中心メンバー・山岡強一氏が金町一家に虐殺された」「以来、山谷労働者は、報復を貫徹し、金町一家を解体する闘いを闘いぬいてきた」「仲間を殺されて、報復しない組織が敵に勝つことはない。この事を肝に銘じて闘わねばならない」「安倍政府の『戦争国家作り』をささえる天皇主義右翼ファシストを絶対に許してはならない」と提起する。「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」を今回はじめて観たという仲間も多い。この映画を観た仲間から、「山谷の労働者の闘いには、とても強い団結があると感じた。映画で描かれているように、労働者が団結して闘うことが大事だと思う」との感想が寄せられた。

 冬は、資本からみて利用価値の無くなった労働者を路上で殺していく時期である。そんなことを絶対に許してはならない。年末・年始の釜ヶ崎周辺での「夜回り・人民パトロール」への結集―仲間の命を守る行動への参加が最後に呼びかけられ、「団結ガンバロー」で集会は終了した。

 

12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく

 

 釜ヶ崎では、ドヤ(簡易宿泊所)にも泊まれずアオカン(野宿)せざるをえない厳しい失業状況が続いている。大阪市が野宿者対策として「NPO・釜ヶ崎支援機構」に管理・運営を委託し、釜ヶ崎地域内に設置している「あいりん臨時夜間緊急避難所(あいりん夜間シェルター)」は、毎日400人を超える労働者が利用している。

 大阪市は、越年対策事業として「臨時宿泊所」を開設している。暴動対策として大阪南港に開設してきた「南港臨時宿泊所」は、2014年度から廃止され、釜ヶ崎地域内のシェルターとケアセンター(三徳寮)が越年期の「臨時宿泊所」となっている。「南港臨時宿泊所」の廃止は、利用者の減少と財政難を主な理由としてのものである。「南港臨時宿泊所」の入所者数は、大阪市が越年対策を開始してから毎年2000人を超えていたが、2004年度は1973人で、初めて2000人を割り、2009年度は637人と前年の1324人から1000人を割り、年々減少を続けてきた。入所資格は、今年度2016年度も「あいりん地域に居住する、(原則として)40歳以上の単身日雇労働者」というものである(毎年の「春闘要求」では、40歳の年齢制限を削るように要求してきている)。入所受付については、2010年は12月29日と30日の2回だったのが、2011年から事前登録が必要となり、12月29日の1回のみになった。2016年度の「臨時宿泊所」の入所者数は、432人(うちケアセンター79人)であった。

 12月29日から、人民パトロールが開始された。人パト隊は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、風邪薬などを持って回っていく。まず、センターの周辺で野宿している労働者のもとを回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意もなく体ひとつカバン一個で寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう」という声が返ってくる。センター周辺だけで、100人以上が野宿している。続いて、人パト隊は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回る。2009年度以降、釜ヶ崎では日雇い・野宿労働者の生活保護受給の急増で、「臨時宿泊所」入所者数が大幅に減少した。しかし、人民パトロールを通してわかることは、あいかわらず毎年百数十人が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。大阪市の開設した「臨時宿泊所」(風呂、暖房、三食、テレビ)を拒否し、あえて寒空の中でアオカンを選択する労働者がいるということだ。

 人民パトロールでは、「アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕しよう!」「一人の野垂れ死にも許さんぞ!」「生きてヤツラ(資本・行政)にやり返そう!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さんぞ!」「仲間の命を守りぬこう!」のスローガンを書いたビラを配布し、闘いへの結集を呼びかけていった。

 6間にわたって「一人の野垂れ死にも許さない」と越年・越冬闘争の「夜回り・人民パトロール」が貫徹された。越年・越冬闘争で培った団結をさらに強化し、「反戦・仕事よこせ」の闘いを闘いぬいていく。2017年の激闘に進撃する。